「大手町ビヤコラム」第七回 「捧げられたものたち」
大手町ビヤコラム 第七回 2022年7月 「捧げられたものたち」
作家・ビール文化研究家 端田晶
七月は英語でジュライ。 これは古代ローマの英雄ジュリアス・シーザーに由来します。このシーザーに捧げられたのがシーザー・サラダ、ではありません。
彼の時代から二千年後のアメリカ、ハリウッドの映画関係者は禁酒法の及ばないメキシコのティファナまで遠征して飲んでいました。一九二四年七月四日、ティファナの人気店シーザーズ・プレイスは独立記念日を祝う飲兵衛で大繁盛。ついに食材が尽きてしまいます。そこで店主が残り物のレタスと卵などから即席で作ったのがシーザー・サラダの発祥です。これがハリウッドから全米に拡がりました。つまり古代ローマ人は無関係。
こんなデマが流れるのは、有名人に捧げられた料理や酒が多いからでしょう。例えば、桃のコンポートとバニラアイスとラズベリーソースのピーチ・メルバ。これは近代フランス料理の父と呼ばれるオーギュスト・エスコフィエが、オーストラリアの歌姫ネリー・メルバに捧げたもの。初体験のデザートに感激したメルバが名前を聴くと、エスコフィエは「ピーチ・メルバと呼ばせて頂ければ光栄です」と答えたそうです。料理好きの私も、杏仁豆腐に載せる白キクラゲの砂糖煮を作った時に、ザクロでピンクに染めるというアレンジを施し、妻に捧げようとキクラゲ・ナオミと命名したのですが不評でした。ピーチ・メルバの命名と同じ構造なのにね。
同じくオペラ歌手のフョードル・シャリアピンに捧げられたのがシャリアピン・ステーキ。牛肉を叩いて薄く延ばしタマネギに漬けて柔らかくしてから焼きます。昭和十一年の日本滞在中、歯の具合が悪かった彼のために帝国ホテルの料理長が考案しました。従ってロシア料理ではありません。
英国の名宰相かつ酒豪のウィンストン・チャーチルにはビールが捧げられました。一九五〇年にコペンハーゲンの醸造所を訪問した際に特別醸造され、現在も販売されるカールスバーグ・スペシャル・ブリューです。豊かな麦芽の風味に、彼の好きなコニャックの香りが加わり、アルコールは通常の倍近い九パーセント。ビールなのに彼は食後酒として飲んでいました。しかし、彼なら普通の度数では物足りないだろう、と外国人に思われるなんて異常ですよね。
英国王妃アレクサンドラに捧げられたのはアレキサンダーというカクテル。成立時期には諸説あって、一八六三年の国王エドワード七世との結婚式とか、一九〇二年の彼女の戴冠式とか。ブランデーとカカオリキュールと生クリームのシェークなので甘くて飲みやすいのですが、とても危険です。映画「酒とバラの日々」の中で、夫が下戸の妻に飲ませた最初の酒で、これなら飲めるわと喜んだ妻ともども、二人でアルコール依存症へと転落していくのです。
ここ大手町厨房にも捧げられたものがあります。それがマルゲリータピザ。イタリア王国の第二代国王ウンベルト一世の王妃マルゲリータに由来します。一八八九年に国王夫妻がナポリを訪れた時に供されたピザの一つで、特に王妃が喜んだのでマルゲリータと命名されました。トマトソースの赤、モッツァレラの白、バジルの緑は、イタリアの国旗の三色で、この旗印の下、前国王とともにイタリア統一戦争を勝ち抜いた国王夫妻には感慨深かったでしょう。大手町厨房のマルゲリータは定番の三色に、生トマトやパルメザンのパウダーがアクセント。二百度のオーブンから出た熱々をビールと一緒に楽しみましょう。 -了-