大手町ビヤコラム 第2回 「ビールと羊」
大手町厨房では「大手町ビアコラム」と題するコラムを月替わりでメニューに掲載しております。
筆者はビールを楽しく紹介することで知られるヱビスビール記念館前館長の端田晶氏です。
ここでは掲載後のアーカイブをお読みいただけますが、最新号は是非お店でお読みください。
第二回 2022年2月
「ビールと羊」 作家・ビール文化研究家 端田晶
寒いですね。私が子供だった頃はダウンがなく、冬は皆ウールのセーターでした。しかし、なぜウールは温かいのでしょう。その秘密は羊の愛らしいモコモコの姿。つまり繊維の縮れに含まれた大量の空気の保温力です。羊毛の表面のキューティクルが撥水性を持つのも一因です。今回は、この保温力が我々ビール党に大きな恩恵をもたらしているという、風が吹けば桶屋が儲かる的なお話です。
日本で牧羊が意識されたのは明治期の軍隊がきっかけでした。丈夫さ、保温力、撥水力を兼備した羊毛は軍服に必要だからです。明治政府は羊毛国産化を目指して牧羊の普及を企てますが、なかなか進みませんでした。すると大正期に、羊肉料理が中国東北部から持ち込まれます。農林省はこれを牧羊普及の一助にしようと羊肉料理講習会を実施し、種羊場のあった北海道や岩手などで羊肉料理が根づきました。昭和十一年には札幌にジンギスカン専門店が開業します。
そして昭和三十年代に羊肉輸入が自由化され、四十一年には北海道にサッポロビール園が開業しました。ここの名物がキングバイキング。ジンギスカン食べ放題とビール飲み放題のセットです。青空の下、爽やかな風に吹かれながらキングバイキングはビール党を熱狂させ、全国から年間六十万人以上が訪れる観光名所となりました。羊毛の保温力が、ついにビール党の至福へと繋がったのです。しかし、戦争が無くなってから広まるなんて、羊は平和主義者なのですね。
その後、二〇〇四年頃から数年間、東京を中心としてジンギスカンブームが起こります。背景にはBSE問題での牛肉需要の低下も一因ですが、ファン同士のネットでの情報交換が見逃せません。その代表格が東京ジンギス倶楽部。ホームページでの名店訪問記などから始まり、ついにガイドブックを出版し、実際にジンギスカンの店まで経営しました。
さらに羊肉がヘルシーだとマスコミで紹介されたこともブームを加速させました。その根拠は主に三つあります。まず鉄分やビタミンが豊富であること。次は羊脂の融点が四十四度と高いことです。このため羊の脂は、人間の体内では固まってしまい、吸収されにくいのです。三つめは、羊肉に豊富に含まれるL-カルニチンというアミノ酸が、腹周りなどに溜まった脂肪の燃焼を促進させるからです。この物質は、二十代後半から人間の体内で合成される量が減りはじめるので、食事で補充するとよいのだそうです。
熱しやすく冷めやすいのが日本人の特性で、このジンギスカンブームは数年で鎮静化しました。しかし今、第三次ラム肉ブームと呼ばれるほど羊肉の輸入量は増加しています。その理由は、流通技術の進歩で羊独特のクセや臭みがなく、格段に美味しくなったからです。かつては、冷凍で肉質が劣化し解凍時に血が混じるなどの問題がありましたが、現在は冷凍せずに輸入されているのです。
イスラム教では豚、ヒンズー教では牛を食べません。しかし羊には宗教的制約が無いので、世界で一番多くの人が食べている肉なのです。中国にはジンギスカンの祖先といわれる鍋羊肉(コウヤンロウ)があり、欧米でもラムチョップが人気です。ここ大手町厨房でも、おすすめ筆頭は“子羊のロースト”。ギュッと旨味が濃縮されるようにサッと火を通して、脂はキツネ色、肉はサーモンピンクに仕上げています。眼でも美味です。
セーターの暖かさと平和のありがたさを感じながら、熱々の羊でビールをグイっと飲みましょう。
-了-
<筆者紹介> 端田晶(はしだあきら)
作家・ビール文化研究家。ヱビスビール記念館前館長。ビールに関する著書多数。近刊は、日本にビールを根付かせた馬越恭平の生涯を描く『負けず 小説・東洋のビール王』(幻冬舎)。